ぼくがこれまでの人生でもっとも多く繰り返して見た映画。その映画は当時22歳だったぼくに衝撃を与え、後の映画の評価に対するハードルを一気に引き上げた。
2008年公開のダークナイト。
ヒース・レジャーが怪演する狂気の悪人ジョーカーと、クリスチャン・ベール演じる純粋な正義であるバットマンとの戦いを描いたいわゆるアメコミ映画だ。
世界中で大ヒットした本作は、クリストファー・ノーラン監督の映画監督としての地位を盤石なものにした。
今や伝説的な映画となったダークナイトに関する逸話は数多くある。
この記事では、それらの裏話的な話の羅列に終始するのではなく、本作のファンであるぼくの以下の問いに答えを出してみたい。
「なぜ我々はジョーカーにこれほど魅了されるのか?」
考察を深める前に、諸々の前提を確認しておこう。
ダークナイトという作品の偉大さ

「ダークナイトは本当にそんなにすごい映画なのか?」
そう思われる読者もいるかもしれない。そのためまずは作品の評価を確認していこう。
歴代映画ランキングTOP5にランクイン

IMDbという米国の映画やテレビ番組に関する情報のデータベースで、ダークナイトは歴代映画ランキング4位にランクインしている。映画の本場である米国の目の肥えた視聴者が、ダークナイトを映画史上4番目に優れた作品であると評価しているのだ。
TOP10の中で、2000年代後半以降の比較的新しい作品は本作だけだ。
ダークナイトはぼくだけでなく、多くの映画ファンを魅了した作品であるという事実がここに表れている。
批評家も絶賛
ダークナイトは観客だけでなく、映画のプロからも熱い支持を受けている。
本作は批評家からも絶賛されている。映画批評サイトのRotten Tomatoesは、324件のレビューに基づいて94%の高い支持率を示し、評価の平均点は10点満点中8.6点である。
ダークナイト – Wikipediaから引用
著名な批評家のロジャー・イーバートは、4つ星満点中最高の4つ星をつけた。イーバートは「”バットマン”はもはや漫画本ではない。クリストファー・ノーランの”ダークナイト”は、その起源を越えて飛躍し、夢中になれる悲惨な内容の映画です」としている。
ダークナイト – Wikipediaから引用
観客からも批評家からも愛され、ダークナイトは映画史に残る作品の一つとして人々に記憶される存在となった。
第81回アカデミー賞で2部門を受賞
ダークナイトは第81回のアカデミー賞で助演男優賞と音響編集賞を受賞している。しかし、観客や批評家からの評価が高かったにもかかわらず、作品賞にはノミネートすらされなかった。このことは大きな批判を集めた。
第81回アカデミー賞において2部門を受賞したが、観客・批評家双方からの評価が高かった本作が作品賞にノミネートされなかったことは大きな批判を集めた。そのことが、翌年からの作品部門の候補枠をそれまでの5作品から最大10作品まで拡大することにつながった。。
ダークナイト – Wikipediaから引用
アカデミー賞以外にも30の映画賞で数多くの賞を受賞している。もっとも多い部門は、“助演男優賞”だ。

そう。多くの映画賞がヒース・レジャー演じるジョーカーを高く評価しているのだ。
なぜ悪の狂人に魅了されるのか
作品の評価を概観することで、ダークナイトを愛しているのはぼくだけではないこと、また作品の魅力がヒース・レジャー演じるジョーカーであると評価されていることが確認できた。
ここからは改めてこの記事の主題に立ち返り、次の問いにぼくなりの答えを出してみたい。
「なぜ我々は悪の狂人にこれほど魅了されるのか?」
前提
まず下記はダークナイトファンであればおおむね合意できる前提として扱う。
- ヒース・レジャーの圧倒的な演技力
- ジョーカーの奇抜な見た目や言葉遣い
- 重厚な雰囲気を醸し出す映像と音響
いずれも我々がジョーカーに魅了される理由として異論はない。しかし、これほど魅了される理由としては弱く、分析としては表層的であると言わざるを得ない。
もっと我々の心の奥底で起きていることに目を向け、ジョーカーにこれほど魅了される真因を探って見たいと思う。
1.悪への憧れの記憶

あなたが男性ならば、学生の頃に悪への憧れを抱いた記憶があるのではないだろうか。ぼくはある。
もちろん今は、悪に対しては嫌悪しかない。しかし、学生時代は悪いことをしている先輩などがかっこいいように思え、憧れを抱いていた。
当時のぼくの中で何が起こっていたかを考えてみると、頭の中で「悪=強」という図式が成り立っていたように思う。
多くの生き物で雄には強さが求められ、人間も例外ではない。
現代の複雑な社会の枠組みの中では、肉体的な強さは必ずしも雄のすべてではない。一方で、原始的な社会の中では、肉体的な強さが雄のすべてであると言っても過言ではない。
まだ発達段階の学生は、本能的に強さを求め、憧れを抱いているのではないだろうか。その頃の記憶をジョーカーは我々に呼び戻させる。
これが我々がジョーカーに魅了される理由の一つであり、ダークナイトがいまいち女性受けしない理由なのかもしれない。
2.狂人に対する怖いもの見たさ

カリギュラ効果という言葉がある。これは、ローマ帝国の皇帝カリグラを描いた映画「カリギュラ」が語源の言葉だ。
カリギュラは過激な内容の映画であったため、一部の地域で公開禁止となった。公開禁止となったことでかえって世間の注目を集め、カリギュラは話題の作品になった。
このことからわかるように、人間は禁止されていることに興味を持ってしまう性質がある。
ジョーカーは狂人である。我々常人なら「そんなことをしてはいけない」と思うような、倫理的に禁止されていることを平気でやってしまう。
禁止されているので、そんなことをしてはいけないと頭では考えるが、実は心の奥底では禁止されていることに興味を持ってしまう。この怖いもの見たさのような心理がダークナイト鑑賞中の我々に働いているのではないだろうか。
一度このカリギュラ効果が働いてしまうと、次にジョーカーがどんな倫理的に禁止されていることをやってしまうのか、あなたは気になって仕方がなくなってしまうはずだ。
3.リスクテイカーへの羨望

リスクテイクできる人はそれほど多くはない。
我々ホモ・サピエンスの歴史は、狩猟採集社会の歴史である。我々の遺伝子に刻まれたプログラムは、未だに狩猟採集社会での生存と繁殖に最適化されている。
社会学の成果によると、狩猟採集社会の頃から、我々の中でリスクテイクする人々の割合は1割程度であったらしい。
狩猟採集社会の中での生存と繁殖に最適化すると、先祖から受け継いだ生活の範囲内で生きていくことが最善の選択肢となる。まだ踏み入れていない未知の森には、どんな恐しい外敵がいるのかわからず、リスクが高いからだ。
90%の人々は集落の規則を守り、未知の森には入らず、これまで構築されたオペレーション通りに生活をする。
しかし、残りのリスク選好の10%は「誰も行かないのならおれが行こう」と未知の森に足を踏み入れる。こうした人々によって集落の領域が拡大され、集団的生存確率を上げてきたのが我々の歴史だ。
我々は、大きなリスクを取る人々に憧れ、彼らを英雄と呼ぶこともある。
ジョーカーは頭のネジが一つか二つ外れてしまっているので、当然のように大きなリスクを取りにいく。ここにも我々がジョーカーに魅了される要因がありそうだ。
我々は自身の衝動をジョーカーに投影している
我々は、自身の内に秘めた衝動をジョーカーに投影し、擬似的にその衝動の実行を体験しているのかもしれない。
ジョーカーは我々の欲求を具現化した存在であり、心の奥底を照らす鏡なのではないだろうか。
これが意図的に設計されたのであったとしたら、クリストファー・ノーランは人間理解の天才であり、偉大な映画監督であると言えるだろう。
優れた映像作品は必ず観る者のインサイトを捉えている
実は、ぼくは最近ダークナイトをあまり見なくなった。20代半ばまでは狂ったように見ていたのに、なぜなのだろうか。
ぼくの中の答えは、ぼくの心が成熟し、次のステージに進んだからだ。作品に飽きたわけではない。
20代のぼくには、20代のぼくならではの心の葛藤やフラストレーションがあり、30代の今とはまるで違う。ダークナイトは20代のぼくのインサイトに深く刺さり、ぼくを画面に釘付けにしたが、30代のぼくにはそれほど深く刺さらない。
心や価値観といったものは移ろいゆくもので、ずっと同じわけではない。
優れた映像作品は、必ず観る者のインサイトを捉えている。そうでなければ人々を熱狂させることはできない。
ダークナイトは、いやジョーカーは、20代のぼくを大いに熱狂させてくれた。
これからもぼくは映画を鑑賞し続け、熱狂させてくれる作品を探したいと思う。30代のぼくを熱狂させてくれる作品はどんなものなのか、今から楽しみでならない。